祈りの水奏 -inorinosuisou-


inorinoは学生時代の課題で作ったブランド名です。祈の”言葉”とか祈の”気持ち”の「祈の」 名詞として何か言葉を作ろうとした時に、意味も響きも美しくて、カタカナ、ローマ字の字面も美しいところからこの言葉ができました。私は祈るという動詞が好きでした。その言葉の存在そのものが。祈りというのはいわゆるお祈りだけではなく他者へのポジティブな集中力ではないかと思います。だからいろんな形の祈りがある。水槽は好きなはずと言われてずっとピンとこなかったもの。しかしいわゆる四角いそれでは無く、アンティークの大きな丸いガラスの水槽を見た時に、たしかに私はこれが好きだと思いました。知らないからこその誤解、気づいたら心底惹かれてしまう程の魅力。マクロビオティックや真理に触れるものたちはそういうものという気がします。いつか自分のプロジェクトの名前にしたいと思っていたinorinoと私にとってのパラダイムシフトの象徴の水槽、奏でるという字をあてて。

タグ:種市

私は「食」を通してみえてくる世界にすごく真剣です。食と世界平和は直結していると思っています。本質的に本当に美味しいものは人の心に響くし世界も変えられると。

美味しさと同じくらい、私が大事にしているのが美しいもの。私は今の日本の現状は”あらゆる意味での美意識”を破壊されてしまったことが作っていると思っています。

心を込めて丁寧に人の手で真剣に作られた美味しいものと、美しいもの。できれば日本人の手でつくられたそれ。少しでも多くの人がそういうものに触れて行ってくれたらと思っています。そのきっかけを作れたら、とも。

種市は種を通して本当に真面目に楽しく熱く、危機感を煽るのではなく、日本と世界の、現実と未来への希望の形をみせてくれました。そんな絶対に消してはいけない灯火のような種市と比べたら、かわいい布博は軽くみえるのかもしれません。それでも、私が手紙社のイベントが好きなのは、ある種の美意識見せ続けてくれているからです。多くの日本人が忘れたどころか、触れたこともないような美意識を、ものすごく沢山の人にみせてくれて、影響させ続けているように思います。 

だから私は応援したい。最初はただ、かわいい!でも良いんです。どうかそれがきっかけとなって、美しいものを大切にすること、自分の中に譲れない美意識を持つ人が増えますように。

美味しいものと美しいものはきっと世界を救える。

 
    このエントリーをはてなブックマークに追加

種市前夜祭トーク行ってきました。めちゃくちゃ良かった。全部、全部私が今飢えていた所の話。リアルな。

真面目に熱いってほんとかっこいい。三宅洋平さんだけじゃないんだ。こういう人が今たくさんいる。

種市などの企画を含めて種を守るための直接的な動きも大切。そしてもう一つ絶対に外せない生活に密着したリアルな地域の市民のネットワーク。私はそこをやりたい。昔の私だったら、直接的な動きのほうで詰めて追求してやっていこうとしたと思う。実際やりたいとも思った。でも、今はそれは本当に適している人たちに委ねようと思える。

私がやるべきことはそういう男性的な仕事が少しでもスムーズに動いていくための土台を作ること。それは女性的な仕事なんだと思う。彼らを直接”食”で支えていく環境を作ることもそうだけど、地域のつながりを作っていくこと。当たり前の人間力みたいなつながりで。

在来種の今取れた野菜これだけしかないよっていう状況や、初めての野菜で美味しいもの作れる人、というのは料理人としての人だけじゃなくて主婦力としてもすごく必要だと思うんだ。さらに言うなら、地球に負担をかけないための家事の知識とスキルだけじゃなくて、核家族で完結してるんじゃない、一人暮らしの自分の生活で完結しているんじゃない、近所づきあいの古いようでぜんぜん違う新しい形を作っていける力が。その中で色んな情報とか智慧が伝わったり残されていく、友達を超えた仲間が生まれていく。そこをやりたい。

最初は難しさを感じてた。地域ネットワークのための試みなのに、既存のシステムに慣れきっている人たちは今までのやり方でしかできない。目的を見ようとしない。手段だけをこなす癖がついていて。でも、本気で動こうとしたら現実が変わっていくのを目の当たりにしたし、何より同じことをやって頑張っている人たちがいる。

すでにはじめている人達がいる。そして彼女たちが口々に、信じられないくらいスムーズに受け入れられてタイミングも良くて、どんどん地域が変わっていくと教えてくれた。彼女たちには同じものをみている仲間がいて、そこで得たものを人々を含めた土地に還元して広めていっている。

仲間と、地域ネットワーク。

既存のものを変えていくのは難しい。だったら新しいものを作って大きな流れにして既存のものに外から影響していけばいい。小さく、人と人として内側でもつながりながら。

避けられない現実はある。あるものはある。それを何とかしようとする動きも必要だけど、「受け入れる。だけど従わない」という、かつて太古の日本人がやっていたこと。それを探って実行していく。それにはやっぱり戦うという姿勢じゃダメなんだ。外とは戦うんじゃないんだ。二元論になったら、今までと何ら変わらない。溶け合う一つになることが前提で、

戦うとすれば、それは自分との戦い。しかも笑顔で。力むんじゃなくて笑顔で。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ