祈りの水奏 -inorinosuisou-


inorinoは学生時代の課題で作ったブランド名です。祈の”言葉”とか祈の”気持ち”の「祈の」 名詞として何か言葉を作ろうとした時に、意味も響きも美しくて、カタカナ、ローマ字の字面も美しいところからこの言葉ができました。私は祈るという動詞が好きでした。その言葉の存在そのものが。祈りというのはいわゆるお祈りだけではなく他者へのポジティブな集中力ではないかと思います。だからいろんな形の祈りがある。水槽は好きなはずと言われてずっとピンとこなかったもの。しかしいわゆる四角いそれでは無く、アンティークの大きな丸いガラスの水槽を見た時に、たしかに私はこれが好きだと思いました。知らないからこその誤解、気づいたら心底惹かれてしまう程の魅力。マクロビオティックや真理に触れるものたちはそういうものという気がします。いつか自分のプロジェクトの名前にしたいと思っていたinorinoと私にとってのパラダイムシフトの象徴の水槽、奏でるという字をあてて。

タグ:洋服

文章と料理と食のつづき


わかった。
──あれが自然食のお店だったからだ。

3,000円の服を買って、一度洗ってだめになってしまったとして。同じくらいの価格の服は全部同じようだめになるんだなんて思われたりしないだろう。外れだったと思われるだけだ。(─と、少なくとも私は思っているらしい)

でも、自然食やベジのお店だと、それが全てだと思われかねない。(─と、少なくとも私は思っているらしい)

体にいいものは美味しくない。ベジは美味しくない。動物性がないと美味しくない。自然食系のところって自然なのかもしれないけど、きれいじゃないし素敵じゃない、と、思われるのが、嫌なんだ。私は。

洋服と比べたから混乱したんだね。同じ飲食店で比べればすぐにわかったのに。
チェーン店の味が微妙でもあんな風に思わない。

結局自分が自分の思われたいように思われないことが嫌だからの「大きら〜い」発言ということだ。納得。自分が大切、自分への執着ゆえの嫌悪。

とはいえ。純粋な大切、純粋な好き、も存在している、はず。私の食に対する気持ちにもちゃんとそれがあると思える。でも、人間はそこに殆どの場合執着も混在する。自分自身への執着によって。





◯今日わかったこと◯
───私は料理をすることに対して執着がないし、そこに自分のアイデンティティみたいなものは見出していない。だけど「食」にまつわるあれこれをすごく大切に思っている。

───私は自分自身に対して、私が関わることに関してネガティブな感情を抱かれるのが嫌、という反応をまだまだしている。

───私は文章を書くのが好きかもしれないけど、自分語りが好きなだけでもあるような?ああ…エゴまみれ。


 
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今井先生のクラスに参加してきました。今井先生のレシピって頭の中にある変な型みたいなのを破ってくれるんです。単純に「枝豆の下茹での目安がわかった」とかもあるんだけどそれだけじゃなくて、あーそういう組案せが…とか、メニューバランスってそんな風に考えるのかとかとか、バランスのセンス?を学べるので、アイディアとともに頭が柔らかくなって、それがすごい良いのです。出張シェフの仕事に役立つ。

出張シェフのお仕事は、到着してから冷蔵庫にある食材をみて作るものを決めます。2時間〜2時間半で玄米とスープ+3,4品を5人分と常備菜分、そして盛り付け配膳まで。あんまり考えてる時間無いので、冷蔵庫をみて10分くらいでメニューと段取りを考えるんですけど、その時にすごく助かります。今井先生のクラス出てると。

私には料理の才能ないんですね。レシピの発想という点でも、スキっと作る能力的な部分も。幸か不幸か、視覚的なバランス感覚だけは多少あるのか、お弁当の盛りつけが綺麗に見えるようで、料理上手と勘違されていますが。

なんだろう、例えば数学がすごく出来る人は、公式とか知らなくても理詰めで公式導き出して解けちゃったりするでしょう。洋服を作るのだってコンセプトとか考えなくても素材みて触ってセンスというバランス感覚で構成すれば可愛い服ができてしまう的な。

できない人はできないままか、出来るようになるには、公式の暗記、パターンの練習です。何度も似たパターンの問題を説いて、この場合はこう、とおぼえていく。
巷に溢れてるほとんどの洋服もそうやって作られてる。初期導入者のスタイリストさんとかが取り入れて、受けが良くて売れたものだけ素材だけ変えてコピー商品作る。少しマシでも可愛くて売れる服のパターンを覚えて作っていく感じ。溢れかえって初期導入者の方々は見向きもしなくなってもそれが売れるんだよね。みんなと同じもの、人気商品、そして同じパターンのモテ服がみんな好き。

あぁ話が逸れました。
で、私は料理の才能はないようなので、シンプルなメニューばかり作ってた仕事はじめたばかりの頃は、即興でメニュー思い浮かびませんでした。初日は水なし炊きと黒ゴマペーストのソースと、玉ねぎの味噌煮と、アラメと玉ねぎの煮物を作りました。そう、OrganicBaseの生徒の皆様ならお分かりでしょう。超基本。

私はお菓子しか食べないくらいに食の感覚が狂ってたので、ポテチとか超脱線する→体調最悪になる→ヒーリングメニューだけ作る→でもやっぱりお菓子中毒でまた食べちゃって脱線、的なことを繰り返していたタイプだったので、あんまり色んなメニュー作れてませんでした。
マクロビオティックは本当にバリエーション豊かでクリエイティブなものなんですけど、私くらい狂っているとわかっていてもできない状態。 勉強が進むに連れて、自分の身体の状態がわかるにつれて対応バリエーションが増えていって、どんどんマシになっていったんですけども。

そんなわけで、ヒーリングメニューならそこそこ頭に入っていたとはいえ、仕事先では豆や海藻などの乾物が基本的にはなくて、あっても缶詰、調味料も違うし、やっぱり何より味覚が違うし、私の味覚に合わせると物足りない感じにしかならず。にっちもさっちもいかないわけなのでした。 困った私は、仕事の前に電車の中で3冊くらいマクロじゃないただのベジ系のレシピ本(ただのベジは強めなので一般ウケしやすい)を3冊くらいばーーっとみてました。テスト前の公式の暗記のように。

さすがに…料理の経験がマクロのクリアメニューだけだったら直前の公式暗記みたないなのでは通用しなかったと思うんですけど、マクロに出会う前、お菓子が基本だったけど、思い立って料理するときはちゃんとする、というスタンスだったのと、前の仕事辞めてからのお弁当の積み重ねはあったので、レシピ本に目を通してアイディアを頭に入れていれば、なんとかなったわけなのです。
しかしそうやって乗り切っても、やっぱり自由な発想はできません。それがすごく必要な仕事内容なのに。

そこで、今井ようこ先生なのです。冒頭に書いたように、枠が外れるんです。自由になれる。

それにね。
才能のない人間は公式覚えてコピーみたいなことを書きましたが、それだけじゃ切ないですけど、それだけじゃないよ。やっぱりね。 経験値というものはちゃんとたまります。その上で、枠が外れると、一気に自由に作れるようになる時ってくるんです。
コップの水があふれる時が。 いつあふれるかは、元々どれくらい持っているのかっていうのと、経験値と、枠はずしみたいなのがどれだけ出来るかの組み合わせ次第。枠はずしは何かのきっかけで一気にできちゃったりもするし。

私の場合、料理においては、元々持っているものが少ないので、まだまだ先だろうし、生きているうちにはこないかもしれません涙 でも、コップの水は溢れなくても、ちゃんとたまってくれるし、たまれば上手にはなっていきます。2年前に比べたら格段に出来るようになっているのです。料理。
だから、これからも経験値をコツコツためていければいいなぁと思っております。 私なりのペースで。それにさ、できない人に本当に伝わるように教えられるのは、できないところから頑張った人なんじゃないかとも思うのよ。

ちなみに、コップの水は、料理なら料理のコップ専用というわけではないので、他の経験値があれば、変換可能です。突きつめれば大切なことは同じだからです。そしてその変換率の高さは、努力の量で決まるように思います。 超才能のある分野だと、努力しないである程度できちゃうし、わかっちゃうということがきっと起こると思うのですけど、そういうパターンで何かができてもそれは変換できません。努力で積み重ねた経験値が変換可能。

だから無駄な努力なんてないのです。 学生時代に学んだこととまったく違う仕事についてもそれは無駄じゃない。 本当に秀でた人たちは、才能がある上に頑張ってるから、ひとつの分野を突き詰めることで、他の色んなこと悟っちゃう的なことがおこったりもしてるようにみえます。

凡人にはそこまでできなくても、得意なことなんかを、そこにあぐらをかかずに頑張っていると、不得意なこともできるようになるとかね。

それに、ここまで書いて思ったけれど、才能がすごくある、ちょっとあるとかの程度は置いておいて、あるなし、っていうのはその分野において右脳が使えるかどうかっていう部分なのかもしれないね。直感とか自由さ。マクロビオティックをやっていると直感が冴えてくるようになるから、コップの水が貯まるの早くなるのかもしれない。というか早くなる気がする。体験的に。

それにしても私はなぜ、得意じゃないはずの料理を頑張っているのか…うぅ。

それは得意なことさえも全くできないくらい、というか生活できないくらい心身ともにダメになってたところを、マクロビオティックに救われて、しかもマクロビオティックが飽きっぽい私を飽きさせなかったからなんだけども…

私はいつか、もっと自由になれたら、得意なことおもいっきりできるようになるのかもしれないなぁ。

楽しみにしていよう。


はぁ。なんか私、目が覚めた気がする。こういうこと考えたり書いたりする人間が私だった。
失恋ショコラティエあたりから狂っててわ。石原さとみがかわいすぎて。女子力に魅せられてしまってた、ないゆえに憧れて。憧れるのもいいし女子力もいいと思いますが、浮ついてたのは心から反省したいと思います。

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料理コツコツこれからも頑張る〜的なブログ書いたけど、そんな風に捉えるのやめるわ。

書きながらそこだけ違和感あったけど、記事としてまとめるには違和感無視するのが楽だったの。
やっぱり違和感だったんだなあれはと気づける出来事が•̀رق•́✧
頑張るとかじゃないね。
やりたければやればいいし、やるなら真剣にやればいいし、楽しくやればいい。

 
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器を買ったことよりも。
すごく可愛いクッキーの型を買ったことよりも。

服を買ったことが嬉しい。

すぐに使うのは器でもなくクッキーの型でもなく服だろうな。 明日着ると思う。ワクワクしながら。 特に何処かに出かけなくても。 むしろ着るために出かけるかもしれない。

私は結局服が一番好きなんだろう。 一番好き、が仕事になるわけでは無いんだなぁ。私の場合だけど。 私はそこに役割を感じるものを仕事にしたい人なんだなと、今は思います。

クリエイターズフリマのお姉さんが表示してた価格から半額より安くしてくれて。思いがけず服を買いました。

そしてすごく幸せな今。
昨日無かった服を明日着れることが。どんな風に着ようか考えるのが。
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私はまだ2,000円以上の器を一度しか買ったことが無い。
1,000円以上になると、かなり迷う。買うべきか買わざるべきか。

それはまだ器を買う経験値が足りないからで、自分の好みがはっきりしてないのに高いお金を出せないから。 それに器は半永久的に使えるから違った…ってなったときに困ってしまう。フリマという手があるにせよ。

その点服はほとんど迷わずに買える。好みもはっきりしているし、どんなものはよく着てどんなものは着ないのか、わかってる。消耗品だからというのもある。

東京蚤の市に行くと、いつも思う。服は、器や部屋を彩るものたちに比べて、ずっと買い慣れてるんだなって。 器や花器やインテリアや家具を選ぶには私ははまだまだ経験値が足りなさすぎる。 でも、服がそうだったように身銭切って失敗していかないと経験値は獲得出来ないのかなぁ。
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『エネルギー』

引きこもって、最小限の生活をしていても部屋は散らかっていく。
まともに生活しようものなら、一回料理しただけでたくさん洗い物が出てしまうし、お弁当箱も毎日洗わなきゃいけない。

朝、洋服を選べば、クローゼットに戻す時間のなかった洋服が散乱。 洗濯すれば干さなきゃだし乾いたら取り込んでたたまなきゃいけなくて。たたまずにベッドに乗っけていってたら寝るとこなくなるし。 毎日かたづけないと、2日で足の踏み場なくなる、流しなんて一日で汚くなる。なんて大変なんだ普通の生活。

こんなことこれから先死ぬまで続けるのか? めんどくさすぎる。 楽したい。消えてもいいんですけど。 もしくは毎日毛布にくるまってすごしたい。

…と思う。落ち込んで無気力の時は。

でも、生きてればいいことも素敵なこともたくさんある。 大切な人もいる。 なので、頑張って生きようと思います。


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