正確に言うと、文章を書くのが好きでも向いているのでもなく、思っていることをただ吐き出すのが好きで、考え事や頭の整理にその作業をすることが向いているという感じなんだけど。
文章を書くことが好きも向いているもその一部だしわかりやすいからいいやとその表現にしてしまった。

しかし。
なんてうまいんだ。という文章を読むと、好きだし向いていると書いたことについて補足しないと恥ずかしい気分になってしまった。

文章を書くことに対してプロ意識なんてない。うまい文章をみると賞賛する気持がうまれ、恥ずかしい気持ちも生まれるけれど、そうなれない自分への悔しさは感じない。意図的に向上する意識があまりないからだろう。文章よりも食のほうがはるかに大切と感じるのもそういうこと。

料理はうまくなりたい。クラスもよりよいものを作りたい。ゴール設定もあるし指針もある。そのためにいつも何かしているし探している。だからどんどん変化していく。文章はわたしにとって娯楽なんだと思う。ゴールもなければ指針もない。だから何時間でもできるんだろう。

はぁ。それにしても彼は素晴らしいな。頭の出来がまるで違う。