私は文章を書くのが嫌いではない。
好きかというと…わからない。

毎日のように書きたいわけでもないけれど、一気に沢山の文章をブログに書く日もあるし、思いついた事をTwitterにどんどん投稿する日もあるし、紙に書く日もある。日記は書いたり書かなかったりはあるけれど、いろんな形をとりながら20年位書き続けていている。
好きかと言われるとよくわからないけれど、向いているとは思う。

で。
料理はというと。 私の日々のSNS投稿や、仕事柄から、好きだし向いているし一生懸命やっていると思われている、ようだ。

が。
文章への自分のあり方と、料理への自分のあり方を比べると。

びっくりした。
今、はっきりしてしまったじゃないか。
私は文章を書くことが好きだし向いていると思うけれど、料理は好きではないし向いてない。

料理に関して、そんなに好きではないし向いていないという発言は過去にもしたことがある。だけど「文章を書くこと」と「料理」を比べることで、両者に対しての自分の気持がこんなにもはっきりするとは思わなかった。

文章は誰のためでもなくても何時間だって、一日中だって書いていられるけれど、料理は誰かのためにしかできない。それも数時間しかできない。にも関わらず私は「食」というものが好きだし、すごく大切にしていると思う。文章を書くことよりずっと。

大切と好きと執着の違いってなんだろう。


今日、旅の終わりに立ち寄ったお店。
何のために飲食店をしているのかわからなかった。絶対に料理が好きではないだろうしカフェという場所を愛してもいないだろう。大切にもしていない。帰り道に口から出てきた言葉は「自然とかナチュラルを装った雑さって大きらーい」

でも。 あれが洋服のお店だったら大嫌いなんて言葉は出てこない。ただ通り過ぎるだけ。
私は洋服が好きなのに。

大切、を構成しているのが執着だけとは思えない。
でも、好き、を構成しているのが純粋さだけとも思えない。


あの嫌悪はどこからきたんだろう。

つづく