祈りの水奏 -inorinosuisou-


inorinoは学生時代の課題で作ったブランド名です。祈の”言葉”とか祈の”気持ち”の「祈の」 名詞として何か言葉を作ろうとした時に、意味も響きも美しくて、カタカナ、ローマ字の字面も美しいところからこの言葉ができました。私は祈るという動詞が好きでした。その言葉の存在そのものが。祈りというのはいわゆるお祈りだけではなく他者へのポジティブな集中力ではないかと思います。だからいろんな形の祈りがある。水槽は好きなはずと言われてずっとピンとこなかったもの。しかしいわゆる四角いそれでは無く、アンティークの大きな丸いガラスの水槽を見た時に、たしかに私はこれが好きだと思いました。知らないからこその誤解、気づいたら心底惹かれてしまう程の魅力。マクロビオティックや真理に触れるものたちはそういうものという気がします。いつか自分のプロジェクトの名前にしたいと思っていたinorinoと私にとってのパラダイムシフトの象徴の水槽、奏でるという字をあてて。

タグ:マクロビオティック

今井先生のクラスに参加してきました。今井先生のレシピって頭の中にある変な型みたいなのを破ってくれるんです。単純に「枝豆の下茹での目安がわかった」とかもあるんだけどそれだけじゃなくて、あーそういう組案せが…とか、メニューバランスってそんな風に考えるのかとかとか、バランスのセンス?を学べるので、アイディアとともに頭が柔らかくなって、それがすごい良いのです。出張シェフの仕事に役立つ。

出張シェフのお仕事は、到着してから冷蔵庫にある食材をみて作るものを決めます。2時間〜2時間半で玄米とスープ+3,4品を5人分と常備菜分、そして盛り付け配膳まで。あんまり考えてる時間無いので、冷蔵庫をみて10分くらいでメニューと段取りを考えるんですけど、その時にすごく助かります。今井先生のクラス出てると。

私には料理の才能ないんですね。レシピの発想という点でも、スキっと作る能力的な部分も。幸か不幸か、視覚的なバランス感覚だけは多少あるのか、お弁当の盛りつけが綺麗に見えるようで、料理上手と勘違されていますが。

なんだろう、例えば数学がすごく出来る人は、公式とか知らなくても理詰めで公式導き出して解けちゃったりするでしょう。洋服を作るのだってコンセプトとか考えなくても素材みて触ってセンスというバランス感覚で構成すれば可愛い服ができてしまう的な。

できない人はできないままか、出来るようになるには、公式の暗記、パターンの練習です。何度も似たパターンの問題を説いて、この場合はこう、とおぼえていく。
巷に溢れてるほとんどの洋服もそうやって作られてる。初期導入者のスタイリストさんとかが取り入れて、受けが良くて売れたものだけ素材だけ変えてコピー商品作る。少しマシでも可愛くて売れる服のパターンを覚えて作っていく感じ。溢れかえって初期導入者の方々は見向きもしなくなってもそれが売れるんだよね。みんなと同じもの、人気商品、そして同じパターンのモテ服がみんな好き。

あぁ話が逸れました。
で、私は料理の才能はないようなので、シンプルなメニューばかり作ってた仕事はじめたばかりの頃は、即興でメニュー思い浮かびませんでした。初日は水なし炊きと黒ゴマペーストのソースと、玉ねぎの味噌煮と、アラメと玉ねぎの煮物を作りました。そう、OrganicBaseの生徒の皆様ならお分かりでしょう。超基本。

私はお菓子しか食べないくらいに食の感覚が狂ってたので、ポテチとか超脱線する→体調最悪になる→ヒーリングメニューだけ作る→でもやっぱりお菓子中毒でまた食べちゃって脱線、的なことを繰り返していたタイプだったので、あんまり色んなメニュー作れてませんでした。
マクロビオティックは本当にバリエーション豊かでクリエイティブなものなんですけど、私くらい狂っているとわかっていてもできない状態。 勉強が進むに連れて、自分の身体の状態がわかるにつれて対応バリエーションが増えていって、どんどんマシになっていったんですけども。

そんなわけで、ヒーリングメニューならそこそこ頭に入っていたとはいえ、仕事先では豆や海藻などの乾物が基本的にはなくて、あっても缶詰、調味料も違うし、やっぱり何より味覚が違うし、私の味覚に合わせると物足りない感じにしかならず。にっちもさっちもいかないわけなのでした。 困った私は、仕事の前に電車の中で3冊くらいマクロじゃないただのベジ系のレシピ本(ただのベジは強めなので一般ウケしやすい)を3冊くらいばーーっとみてました。テスト前の公式の暗記のように。

さすがに…料理の経験がマクロのクリアメニューだけだったら直前の公式暗記みたないなのでは通用しなかったと思うんですけど、マクロに出会う前、お菓子が基本だったけど、思い立って料理するときはちゃんとする、というスタンスだったのと、前の仕事辞めてからのお弁当の積み重ねはあったので、レシピ本に目を通してアイディアを頭に入れていれば、なんとかなったわけなのです。
しかしそうやって乗り切っても、やっぱり自由な発想はできません。それがすごく必要な仕事内容なのに。

そこで、今井ようこ先生なのです。冒頭に書いたように、枠が外れるんです。自由になれる。

それにね。
才能のない人間は公式覚えてコピーみたいなことを書きましたが、それだけじゃ切ないですけど、それだけじゃないよ。やっぱりね。 経験値というものはちゃんとたまります。その上で、枠が外れると、一気に自由に作れるようになる時ってくるんです。
コップの水があふれる時が。 いつあふれるかは、元々どれくらい持っているのかっていうのと、経験値と、枠はずしみたいなのがどれだけ出来るかの組み合わせ次第。枠はずしは何かのきっかけで一気にできちゃったりもするし。

私の場合、料理においては、元々持っているものが少ないので、まだまだ先だろうし、生きているうちにはこないかもしれません涙 でも、コップの水は溢れなくても、ちゃんとたまってくれるし、たまれば上手にはなっていきます。2年前に比べたら格段に出来るようになっているのです。料理。
だから、これからも経験値をコツコツためていければいいなぁと思っております。 私なりのペースで。それにさ、できない人に本当に伝わるように教えられるのは、できないところから頑張った人なんじゃないかとも思うのよ。

ちなみに、コップの水は、料理なら料理のコップ専用というわけではないので、他の経験値があれば、変換可能です。突きつめれば大切なことは同じだからです。そしてその変換率の高さは、努力の量で決まるように思います。 超才能のある分野だと、努力しないである程度できちゃうし、わかっちゃうということがきっと起こると思うのですけど、そういうパターンで何かができてもそれは変換できません。努力で積み重ねた経験値が変換可能。

だから無駄な努力なんてないのです。 学生時代に学んだこととまったく違う仕事についてもそれは無駄じゃない。 本当に秀でた人たちは、才能がある上に頑張ってるから、ひとつの分野を突き詰めることで、他の色んなこと悟っちゃう的なことがおこったりもしてるようにみえます。

凡人にはそこまでできなくても、得意なことなんかを、そこにあぐらをかかずに頑張っていると、不得意なこともできるようになるとかね。

それに、ここまで書いて思ったけれど、才能がすごくある、ちょっとあるとかの程度は置いておいて、あるなし、っていうのはその分野において右脳が使えるかどうかっていう部分なのかもしれないね。直感とか自由さ。マクロビオティックをやっていると直感が冴えてくるようになるから、コップの水が貯まるの早くなるのかもしれない。というか早くなる気がする。体験的に。

それにしても私はなぜ、得意じゃないはずの料理を頑張っているのか…うぅ。

それは得意なことさえも全くできないくらい、というか生活できないくらい心身ともにダメになってたところを、マクロビオティックに救われて、しかもマクロビオティックが飽きっぽい私を飽きさせなかったからなんだけども…

私はいつか、もっと自由になれたら、得意なことおもいっきりできるようになるのかもしれないなぁ。

楽しみにしていよう。


はぁ。なんか私、目が覚めた気がする。こういうこと考えたり書いたりする人間が私だった。
失恋ショコラティエあたりから狂っててわ。石原さとみがかわいすぎて。女子力に魅せられてしまってた、ないゆえに憧れて。憧れるのもいいし女子力もいいと思いますが、浮ついてたのは心から反省したいと思います。

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料理コツコツこれからも頑張る〜的なブログ書いたけど、そんな風に捉えるのやめるわ。

書きながらそこだけ違和感あったけど、記事としてまとめるには違和感無視するのが楽だったの。
やっぱり違和感だったんだなあれはと気づける出来事が•̀رق•́✧
頑張るとかじゃないね。
やりたければやればいいし、やるなら真剣にやればいいし、楽しくやればいい。

 

最近小説熱とか絵が描きたい熱とか勉強熱とか他にもやりたいことが色々…

勉強熱の一つが原始人食、先住民食、ナチュラルパレオダイエットとも呼ばれるものから派生するもの。

試したいです。 この試したい、というのはクシマクロビオティックの標準食より先住民食が正しそうだから、健康になれそうだから、ではなくて。

長岡式酵素玄米を試したのも同じ理由なのですが、別の角度からのしかも真摯な経験値や研究結果を学ぶことは、マクロビオティックの理解が深まるからです。

物事を俯瞰して多面的にみれて、頭が良い人は存在します。 本当にすごいと思う。 そういう人達は、本だけ読めば、話しだけ聞けば、自分の体で試さなくても色んなことを理解できる。でも私はできません。

もちろん今の自分の知識や陰陽の理解でわかるものは自分の身体で試そうとは思いません。
しかし、断食がそうだったように、頭で理解してた、食べ物に善悪はないというものが、やってみて心からやっとわかったように、先住民食もやってみたらいろんなことがわかりそうだと思っているのです。

特に先住民食は陰陽五行などの、東洋的視点なしで解説されるから、そこがすごく勉強になりそうなんです。こんな風に説明すれば要の部分が伝わりやすいのか、みたいなことが。特に理論派男性に対して。 あ、でもこれは本だけでもできるか。

実は一番気になるのが… 詳しくは知らないのですが神道や仏教などの宗教の世界では動物性をすすめませんよね。 それって、体の健康とは別の部分の食の影響があるのを昔の人はわかってたからではないかと思うんです。そこが体感を通してなにかつかめるかもしれないと。

断食をして立った仮説です。
肉体の健康だけなら先住民食もクシマクロビオティックの標準食も同じ。でもそれ以外の何かがやっぱりある。それに、人口を含めたあらゆる環境要因で、現代は先住民食の実践をみんながすることは不可能で、だから、マクロビオティックがうまれたのではないかと。それを自分の身体で検証したく。

この数年お付き合い以外はほぼベジでやってきてるから、普通食から先住民食に変えてもわからないことが、わかるかも。 と思っています。

まだ先住民食に関係する本を一冊しか読んでいなし、すぐに始めるかどうかはわかりません。でも勉強はしていきたいです。

▨.追記
この記事を書いた直後に、Facebookでこんな記事をみつけました。フィード購読してる方です。
私が自分の体で人体実験して体感してみようとしていることをこの方は知ってるのかもしれないと思いました。本当に多くの情報を知っている方だけれども、食の波動のレベルに関してそこまでの理解は無い方だと思ってたから驚きました。

が、その直後にこちらの記事がアップされて、近くてすごく遠かったとわかりました。
確かにこの方の言うとおりだとは思います。ただ、私が知ろうとしていることは、宗教になる前の段階のこと。仏教ではなく仏陀の教えといえばいいでしょうか。
その時もある場合において、肉食はすすめていなかったはずで、それはどうしてなのかということ。
宗教になった時にはそれは多分都合よく利用されたか、どんどんおかしなミクロ解釈になりただの菜食になって健康とは程遠くなったか…ではないのか…と。
しかし全ては実験しないとわかりません。わかったところでそれは私の答えに過ぎません。
楽しみです。どう感じるのか。




 
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超長文。

昨日、友人と話していて、今年(立春後の)どうやって過ごして行くかがやっと見えました。

私、マクロビオティックの学びの中で九星気学も勉強してはいるんですが、そこまで熱心ではありませんでした。というのは、マクロビオティックの食事法もそうですが、九星気学も、いや、それ意外にも世の中のいろんなものの多くがそうであるように、手段の目的化を起こしやすいもの、「私はわかっている、知っている」の状態に陥りやすいものと思っていたからです。
ただ知識として、それを使うことができればいいのですが、知っているが故に、それ以外の見方ができなくなったり、それを通して他人や自分をジャッジしてしまうことがすごく多いと思っていました。

運気とか、流れみたいなものはあると思います。九星気学だけではなく、星座とかいろいろ、あると思います。 目に見えないエネルギーというものは、あります。それはもう料理を通してすごく実感しています。

でも、そういう流れがどうであろうと、結局のところ自分を観察し、整え、目の前のことをたんたんとやって行くことが大事なことで、それができていれば、流れには勝手に乗っていけるのだから、囚われるものではないと思っていました。 というか、今の私は、まだそんなにニュートラルじゃないからよっぽど気をつけないと囚われるから、あまり入り込まず、やるべきことをやることが先だと思っていました。

なんですけど。

今日、自分がすごく傲慢になっていたし、人をジャッジしていたし、視野が狭くなっていたことに気がついて。 九星気学も、ちょっと離れた視点から、知識だけ入れたつもりが、傲慢な視点で見ていたんだと気がつきました。やるべきことさえやっていれば、とらわれる必要なんてないというのは、確かにその通りなんだけど、私のそれは傲慢でしかなかった。

昨年(節分以前)は全員が自分のハウスにいた年。一白水星の私は1のハウスにいたわけですが、9年間で一番きついらしいその年が、私にとっては、すごく充実して多くのことを学び幸せな一年でした。そのため…きっと私はやるべきことがやれていたから、そうやって過ごすことができて、だったら今年も大丈夫、大事なのは囚われないこと、と思ってしまってました。でもそれは、私がもともと一白だから1のハウスが対して辛くないっていう部分がほとんどだったみたい。

最近居心地が悪いというか、なんか苦しかったのは、2のハウス、停滞にいるからなんだよね。そんなことLevel3の時にすでに学んでいたのに、囚われない、と傲慢に思ってたから気づいてさえいなかったよ。 先日も丸一日かけての九星気学のクラスに参加してたのに、それでもわからなかった。

自分の傲慢さに気づいたら、停滞という、外気エネルギーが停止するという感じが、やっとわかりました。陰陽や五行が知識だけ入れても頭でっかちになるだけで、経験を通してからやっと、少しずつ感覚としてわかって行くのと同じだね。

一白水星の、水の私は変化するのが当たり前なので、この停滞の土のエネルギー、本当にしんどいんだと思う。でも、それを辛抱することが大切っていうのが、今年学ぶテーマなんだということが、腑に落ちた。今年は多分、そのままなら苦しくて当たり前なんだ。

同時に、昨年の1のハウスの状態もなるほどって。なんで私にとっていい年だったのかも含め、腑に落ちた。ついでにこの9年を振り返って、今まで全然ピンと来てなかった、当たってるのか当たってないのかわからなかった事がなんだかわかった気がしました。私は本当に食べ物がめちゃくちゃだったから、そのめちゃくちゃな状態の上に、運気の流れが乗っかると、こういう動き方になるんだなって言う理解で。

食べ物の身体への影響力や、季節の変化による影響と同じで、知識だけあってもわからない。その後実体験を通してやっとわかるもの。わかってからやっと囚われなくなるんだろうと思います。

私は傲慢になってたから、囚われないという思いが=受け入れないになってしまっててそれに気づいていなかった。やっと受け入れた上で囚われない、に変化できた気がします。 ああ良かった。

そんなわけで… 今年はヒーリングマクロ。と、ちょっと覚悟してみました。

今まではもうポテチさえたべなければ、市販のお菓子さえ食べなければというマシ、ベターをひたすら選択していたし、家以外の食事も、なんでも食べていたけれど、今年はできる限り選んでみよう。 多分、引き締めてかかる時期に、来たんだと思う。出来るようになったんだと信じてみる。どこかで1度必ずやらなければならなくて、多分私はそれが今年。

私にとっての2のハウスのテーマ辛抱って、きっとそういうこと。

今年は、身体を作る年なんだきっと。今までは心がメインだった。そしてそこはある程度、なんとかなった。身体も、寝たきりにならなくなったし、なにより走り始めたのはそういうことなんだろう。 身体を動かすことで身体と向き合うことがすごく大切な年なんだと思う。食だけだと、食ベたものに対して身体がどう影響するかはすごく敏感になるけど、それ以外の身体のことはわからなかった。きっと運動をすることでわかるようになる。

そして、主婦業。 しっかりやるよ。お弁当はやっと当たり前になったし、家事全般できるようになったから、次のステップへ。秩序立った生活を目指してみようと思います。それもきっと、辛抱というテーマの中に入っている気がする。 家を整えること。それによって自分の生活に秩序を生み出すことが。もちろん秩序のために一番大事なのは瞑想で、最近全くできてないから、それもしっかり。

まとめ。今年の私の過ごしかたは、瞑想して、家事しっかりやって、家整え、食事はヒーリング重視、
そして運動、それによって身体を作り、身体と向き合う。

料理教室は、もともとちゃんと始めるのは来年で、今年は準備のために友人に教えるつもりだったけど、「料理教室」にフォーカスすると、さっきあげた最優先してするべきことできなくなるので、ちょっと保留。

2のハウスでは新しいことをはじめないこと、とされており、だから多分、先週も今週も友人へのクラス流れたんだと思う。やらない方がいいのにやろうとするから。準備のためのクラスだし、なにより去年から始めてるから新しいことではないって思ってたけど、たぶん、そういうことなんだ。

ただ、来年に向けての準備は必要だから別の形で始めたいなと思っています。教えて欲しいと言ってくれる友人がいてくれるので、教室というより、一緒にごはん食べてたくさん話そう的なものから。 玄米の炊き方教えてくれ〜とか、私のおべんとうが食べてみたいとか、マクロビオティックって何?とか経絡やツボのこととか、九星気学でも。テーマはなんでも、ということにして。一緒にご飯食べながら話をしようかと。材料費もらうから、手土産もいらないよってことにして。そのほうが、お気軽だよね。

2のハウスの年は、他人のアドバイスに耳を傾け堅実に行動することが大事だそうなので、一緒にご飯食べながら、疑問に思ったこと、こうしたらいいのでは?ということなんでも、聞かせてもらえることが、いいのかもしれない。

私が講師になった時、一番大事にしたいのは、「何を考えるかかではなく、どう考えるか」を伝えること。これは大事にしながら、どうしたら楽しんでもらえるか、お話ししながら学んでいけたら幸せだなぁと思います。
 

昨日ひょんなことから仕事スイッチが入った。それは対お客様ではなく、スタッフに何かを教える時、話を聞く時のそれ。あるいは生徒さんに。

そしてそれは心地よかった。

帰り道、これは何かなーと考えていて、相手への集中力の高さだと気づく。人は、思いやりが根底にある集中力を発揮してる時に1番充実感を感じるんだと思う。チョコレートとかお酒とか簡単に手に入る快楽よりも全然。自分のためではなく、人のために。

仕事、経済とは本来そうあるべきもの。 競争ではなく。目の前の快楽や利益のためではなく。

私は、人間というものは渇望や嫌悪という自我がそれはもう当たり前にあるから、それらをどれくらい手放してるか掴んでるかは、人それぞれで、全員が手放すことなんて無く…だからその現実を受け入れて自分にできることをたんたんとやっていくだけ
と、思ってた。批判も絶望も何も産まないから。

でも、相手への集中力を心地よいと思う自分に気づいてから、心地いいと思うのも、それを求めるのも自我なんだから、こういう自我を発揮しやすい世の中にできればいい、エンデの遺言に出てくるお金のシステムはまさにそう。…システムさえあれば自我を持ったままでも、思いやりをベースにした経済活動ができる。最初はそれで十分じゃないかって。思った。

 私は、絶望的な状況下に置かれていた時、マクロビオティックで治ると言われて、救われた。まだ治ってなくてもそこに希望があるだけで、それは救いだった。なぜだかわからないけど確信もあった。

先生になりたいと思ったのはその時。

それから何年経っただろう。当時はものすごく遠くて非現実的にしか思えなかった、インストラクターの資格が今はとれていて、人に教え始めてる。そしたら、なにか、どこか心が失速して目標を失ったみたいになっていて。やるべきことも学ぶこともたくさんあるのに。

先生になるという目標の根本、私がやりたかったことは、自分と同じように苦しんでいる人に、これで治るよ、私は治ったよって言ってあげることだったからだと思う。そしてそれはもうできるようになっていた。だから目標を失ったんだ。私はたぶん、目指すものが必要なタイプの人間だから。より具体的な。

同時に私はマクロビオティックと向き合って行く中で自分を受け入れたり認めたりもできるようにもなった。きっとそれは自己実現というもの。

たぶん…人は自己実現ができたその後に、社会に、世界に、やっと本気で目が行くんだよ。だから私は、その次をみることができるようになって、でもどうしていいか考えても考えても、”ただたんたんとやって行くだけ”に、辿り着いていた。本当はそれは全く間違ってない。でも、私のそれはどこかに諦めを含んでしまってたんだ。

そんな時に出会えた2冊の本。「腐る経済」と「エンデの遺言」
システムさえあれば、思いやりをベースにした経済活動は可能という示唆。ポンっと貸してくれた先生にすごく感謝してる。

本に書いてあったことをそのまま実行するわけじゃない。でも、そのシステムがあること、健全な自我を発揮するシステムが作れれば、平和が現実的になることは、私にとって”次”をみせてくれるものだった。この視点をもって仕事をして行くことができるのが嬉しい。きっとそれが生きたクラスを作っていける。

頑張ろう。 




 

我が家にピアノがやってきました。

習ってた頃、練習が楽しいと思ったことは多分一度しかないまま、一生懸命になることもなく、15歳になる前に辞めてしまったピアノ。

この数ヶ月、体調がよくなるのと同時に、色んな事が豊かになって行く中で、ピアノのCDを借りてピアノばかり聴いていたらもう、弾きたくてしかたなく。体調の悪さや精神的な弱さのなかで、何かを一生懸命練習するという経験をしてこなかったので、一生懸命になりたいという欲求も重なっていました。

そしたら…電子ピアノをいただけることになったんです。4畳半と6畳の2kの狭〜い我が家には大きすぎる楽器なんですけど、他のものを手放してでも、迎えたかった。 編み機3台とリンキング機とニットテーブルにはさようなら。夏休みが明けたら学校に寄付します。

ごちゃごちゃした部屋では、ピアノの練習に集中もできないから、他にもできるだけモノを手放して行こうと思います。洋服も減らす。そして、着物を増やすのです。ピアノも独学、着付けも独学で行く。というかそれしか選択肢がないのだけど笑 仕事復帰して少しお金に余裕ができたら習いに行くの。そのために復帰目指して頑張る。きっとその頃にはいい先生に出会えるね。

私、マクロビオティックに救われてから、マクロビオティック一色の人生だったのです。だから、ピアノが私の人生に戻ってきてくれてたことは、ものすごく大きな変化。

この狭い部屋で、ピアノと共に生活すべく、家具の配置とか明日一日頑張って色々検討です。とりあえず、ふすまは取り去りました。ふた部屋つなげないと、どうにも配置不能で。それで我が家は全く違う景色に。本当に物理的にも精神的にも全く違う生活が訪れたなと、思っています。

ピアノさん、もう少し我慢してね、居心地のいい部屋を作るから!

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