祈りの水奏 -inorinosuisou-


inorinoは学生時代の課題で作ったブランド名です。祈の”言葉”とか祈の”気持ち”の「祈の」 名詞として何か言葉を作ろうとした時に、意味も響きも美しくて、カタカナ、ローマ字の字面も美しいところからこの言葉ができました。私は祈るという動詞が好きでした。その言葉の存在そのものが。祈りというのはいわゆるお祈りだけではなく他者へのポジティブな集中力ではないかと思います。だからいろんな形の祈りがある。水槽は好きなはずと言われてずっとピンとこなかったもの。しかしいわゆる四角いそれでは無く、アンティークの大きな丸いガラスの水槽を見た時に、たしかに私はこれが好きだと思いました。知らないからこその誤解、気づいたら心底惹かれてしまう程の魅力。マクロビオティックや真理に触れるものたちはそういうものという気がします。いつか自分のプロジェクトの名前にしたいと思っていたinorinoと私にとってのパラダイムシフトの象徴の水槽、奏でるという字をあてて。

2014年05月

仕事をはじめました。

夕食を作るお仕事です。夕方お宅にうかがって、できるだけ冷蔵庫にあるもので、その日のご飯と、数日分の常備菜を作ります。簡単に言うと夕食メインのお手伝いさん。本当にかわいいお子さんたちがいる家庭です。

昨日はお仕事2日目だったのですが、本当に改めて、仕事って嬉しいし、ありがたいし、背筋が伸びて、いいな。って思いました。

経済的に少し余裕がうまれる安心感も。全く意識してなかったけどやはり抑えてたものはあったようで。
帰り道カフェが目に入ってきて思いました。一人で気が向いた時にお茶をしたり。例えば仕事帰りに。そういう時間をこれからとってもいいのかなって。そう思うとなんだかすごく、嬉しかった。

自分の収入があるという部分でも。自分のお金で、本を買ったりクラス受けたり、セミナーに参加してみたり、自分に投資するときに迷う要素が減る。それはすごくフットワークに差が出てきます。ありがたいです。お金を頂いて仕事ができるって。

人生というのは不思議ですね。
私は、数年前まで先生と呼ばれる仕事や子どもに関わる仕事に全く興味がありませんでした。むしろ、やりたく無い仕事の一つでした。 マクロビオティックに出会って救われて、先生になろうと思ったのも、マクロビオティックの仕事=先生しか思いつかなかったから。しかし組織の中で働き、素晴らしい上司や先輩に出会って、何もかも教えてもらい、育ててもらい、そして自身も店長という立場の中で、スタッフ育成というものの大切さやすごさをしりました。私自身はスタッフを育てるというレベルには到底及びませんでしたが。

本当の教育というのは、相手が自分の手を離れても勝手に育っていけるようにすることだと思います。何を考えるかではなく、どう考えるかを伝えることがそれを可能にしてくれます。私はまさにそれをやってもらい、退職して2年近く経った今も、育てられ続けています。マクロビオティックを学んでいく中でも、素晴らしい先生方に出会い、彼らの覚悟にも触れ、教育という仕事の素晴らしさを感じました。

そして、なぜかこの1年沢山の子ども達に出会って、なぜか好きになってもらえて、触れ合っていく中で、子ども達が大切になりました。 …といっても今までは時々会って遊んだりご飯食べたりするだけ、しかし今回の仕事はその家庭に入ってご飯を作って一緒に食べるし、作ってる時も食べてる時も子供達がたくさん話しかけてくれて本当に数時間だけど、その家族の一員のように過ごします。

そしたら…大人としての責任を果たそうという気持ちに。食という側面だけではなく、大人として影響するということの責任。こんな風に書くと大げさだな、決意とかじゃなく自然とそんな気もちが、湧くというのも違って、自然にすっとそうなる。力むのでも構えるのでもなく。いつのまにか。子どもたちがそうしてくれる。それはとても大きいことです。

子どもってなんてすごいんだろう。こんなに愚かで小さくて弱い私を簡単に、強くあろうとしてくれるなんて。 未来と可能性の塊ってすごい。

少しずつ感じ始めていた、子供たちと関わることに私の役割があるのかなという気持ちがまた少し大きくなりました。

ずっと、子どもは好きだけど自分の子どもを持つことにはピンとこなくて、なんでかなと思いながら、世の中の忙しくて大変なお母さんたちを助けることが私の役割なんじゃないかと思うとすごく自然に思えたり…していました。教育者という気持ちを持っているマクロビオティックの先生に憧れるのと同時に。

仕事が始まったばかりだからこその妙なハイで、こんな風に思ってるだけなんじゃないのと、私そんなに立派な人間か?とも、思います。大それていて恥ずかしい。でも、今だけの感情だったとしてもこの気持は大切な気持ちだと思うから、忘れないようにしたいとも思います。

教育者、そして子供たちと関わる仕事ってこの世で一番大事な仕事ではないでしょうか。だから、やっぱり私、なんて大それたことを、と思うんです。

けど、でも、そこにもし、私の役割があるなら…と思います。
もちろんどうなっていくのかわからない。

そうだな…そう。
どうあっても、いつでも目の前のことを一生懸命やるだけなのに変わりはないんだし、それが一番大事なことだ。

頑張って、生きて行こう。

それだけ。それだけ。





 
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器を買ったことよりも。
すごく可愛いクッキーの型を買ったことよりも。

服を買ったことが嬉しい。

すぐに使うのは器でもなくクッキーの型でもなく服だろうな。 明日着ると思う。ワクワクしながら。 特に何処かに出かけなくても。 むしろ着るために出かけるかもしれない。

私は結局服が一番好きなんだろう。 一番好き、が仕事になるわけでは無いんだなぁ。私の場合だけど。 私はそこに役割を感じるものを仕事にしたい人なんだなと、今は思います。

クリエイターズフリマのお姉さんが表示してた価格から半額より安くしてくれて。思いがけず服を買いました。

そしてすごく幸せな今。
昨日無かった服を明日着れることが。どんな風に着ようか考えるのが。
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私はまだ2,000円以上の器を一度しか買ったことが無い。
1,000円以上になると、かなり迷う。買うべきか買わざるべきか。

それはまだ器を買う経験値が足りないからで、自分の好みがはっきりしてないのに高いお金を出せないから。 それに器は半永久的に使えるから違った…ってなったときに困ってしまう。フリマという手があるにせよ。

その点服はほとんど迷わずに買える。好みもはっきりしているし、どんなものはよく着てどんなものは着ないのか、わかってる。消耗品だからというのもある。

東京蚤の市に行くと、いつも思う。服は、器や部屋を彩るものたちに比べて、ずっと買い慣れてるんだなって。 器や花器やインテリアや家具を選ぶには私ははまだまだ経験値が足りなさすぎる。 でも、服がそうだったように身銭切って失敗していかないと経験値は獲得出来ないのかなぁ。

最近小説熱とか絵が描きたい熱とか勉強熱とか他にもやりたいことが色々…

勉強熱の一つが原始人食、先住民食、ナチュラルパレオダイエットとも呼ばれるものから派生するもの。

試したいです。 この試したい、というのはクシマクロビオティックの標準食より先住民食が正しそうだから、健康になれそうだから、ではなくて。

長岡式酵素玄米を試したのも同じ理由なのですが、別の角度からのしかも真摯な経験値や研究結果を学ぶことは、マクロビオティックの理解が深まるからです。

物事を俯瞰して多面的にみれて、頭が良い人は存在します。 本当にすごいと思う。 そういう人達は、本だけ読めば、話しだけ聞けば、自分の体で試さなくても色んなことを理解できる。でも私はできません。

もちろん今の自分の知識や陰陽の理解でわかるものは自分の身体で試そうとは思いません。
しかし、断食がそうだったように、頭で理解してた、食べ物に善悪はないというものが、やってみて心からやっとわかったように、先住民食もやってみたらいろんなことがわかりそうだと思っているのです。

特に先住民食は陰陽五行などの、東洋的視点なしで解説されるから、そこがすごく勉強になりそうなんです。こんな風に説明すれば要の部分が伝わりやすいのか、みたいなことが。特に理論派男性に対して。 あ、でもこれは本だけでもできるか。

実は一番気になるのが… 詳しくは知らないのですが神道や仏教などの宗教の世界では動物性をすすめませんよね。 それって、体の健康とは別の部分の食の影響があるのを昔の人はわかってたからではないかと思うんです。そこが体感を通してなにかつかめるかもしれないと。

断食をして立った仮説です。
肉体の健康だけなら先住民食もクシマクロビオティックの標準食も同じ。でもそれ以外の何かがやっぱりある。それに、人口を含めたあらゆる環境要因で、現代は先住民食の実践をみんながすることは不可能で、だから、マクロビオティックがうまれたのではないかと。それを自分の身体で検証したく。

この数年お付き合い以外はほぼベジでやってきてるから、普通食から先住民食に変えてもわからないことが、わかるかも。 と思っています。

まだ先住民食に関係する本を一冊しか読んでいなし、すぐに始めるかどうかはわかりません。でも勉強はしていきたいです。

▨.追記
この記事を書いた直後に、Facebookでこんな記事をみつけました。フィード購読してる方です。
私が自分の体で人体実験して体感してみようとしていることをこの方は知ってるのかもしれないと思いました。本当に多くの情報を知っている方だけれども、食の波動のレベルに関してそこまでの理解は無い方だと思ってたから驚きました。

が、その直後にこちらの記事がアップされて、近くてすごく遠かったとわかりました。
確かにこの方の言うとおりだとは思います。ただ、私が知ろうとしていることは、宗教になる前の段階のこと。仏教ではなく仏陀の教えといえばいいでしょうか。
その時もある場合において、肉食はすすめていなかったはずで、それはどうしてなのかということ。
宗教になった時にはそれは多分都合よく利用されたか、どんどんおかしなミクロ解釈になりただの菜食になって健康とは程遠くなったか…ではないのか…と。
しかし全ては実験しないとわかりません。わかったところでそれは私の答えに過ぎません。
楽しみです。どう感じるのか。




 
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