祈りの水奏 -inorinosuisou-


inorinoは学生時代の課題で作ったブランド名です。祈の”言葉”とか祈の”気持ち”の「祈の」 名詞として何か言葉を作ろうとした時に、意味も響きも美しくて、カタカナ、ローマ字の字面も美しいところからこの言葉ができました。私は祈るという動詞が好きでした。その言葉の存在そのものが。祈りというのはいわゆるお祈りだけではなく他者へのポジティブな集中力ではないかと思います。だからいろんな形の祈りがある。水槽は好きなはずと言われてずっとピンとこなかったもの。しかしいわゆる四角いそれでは無く、アンティークの大きな丸いガラスの水槽を見た時に、たしかに私はこれが好きだと思いました。知らないからこその誤解、気づいたら心底惹かれてしまう程の魅力。マクロビオティックや真理に触れるものたちはそういうものという気がします。いつか自分のプロジェクトの名前にしたいと思っていたinorinoと私にとってのパラダイムシフトの象徴の水槽、奏でるという字をあてて。

2014年03月

超長文。

昨日、友人と話していて、今年(立春後の)どうやって過ごして行くかがやっと見えました。

私、マクロビオティックの学びの中で九星気学も勉強してはいるんですが、そこまで熱心ではありませんでした。というのは、マクロビオティックの食事法もそうですが、九星気学も、いや、それ意外にも世の中のいろんなものの多くがそうであるように、手段の目的化を起こしやすいもの、「私はわかっている、知っている」の状態に陥りやすいものと思っていたからです。
ただ知識として、それを使うことができればいいのですが、知っているが故に、それ以外の見方ができなくなったり、それを通して他人や自分をジャッジしてしまうことがすごく多いと思っていました。

運気とか、流れみたいなものはあると思います。九星気学だけではなく、星座とかいろいろ、あると思います。 目に見えないエネルギーというものは、あります。それはもう料理を通してすごく実感しています。

でも、そういう流れがどうであろうと、結局のところ自分を観察し、整え、目の前のことをたんたんとやって行くことが大事なことで、それができていれば、流れには勝手に乗っていけるのだから、囚われるものではないと思っていました。 というか、今の私は、まだそんなにニュートラルじゃないからよっぽど気をつけないと囚われるから、あまり入り込まず、やるべきことをやることが先だと思っていました。

なんですけど。

今日、自分がすごく傲慢になっていたし、人をジャッジしていたし、視野が狭くなっていたことに気がついて。 九星気学も、ちょっと離れた視点から、知識だけ入れたつもりが、傲慢な視点で見ていたんだと気がつきました。やるべきことさえやっていれば、とらわれる必要なんてないというのは、確かにその通りなんだけど、私のそれは傲慢でしかなかった。

昨年(節分以前)は全員が自分のハウスにいた年。一白水星の私は1のハウスにいたわけですが、9年間で一番きついらしいその年が、私にとっては、すごく充実して多くのことを学び幸せな一年でした。そのため…きっと私はやるべきことがやれていたから、そうやって過ごすことができて、だったら今年も大丈夫、大事なのは囚われないこと、と思ってしまってました。でもそれは、私がもともと一白だから1のハウスが対して辛くないっていう部分がほとんどだったみたい。

最近居心地が悪いというか、なんか苦しかったのは、2のハウス、停滞にいるからなんだよね。そんなことLevel3の時にすでに学んでいたのに、囚われない、と傲慢に思ってたから気づいてさえいなかったよ。 先日も丸一日かけての九星気学のクラスに参加してたのに、それでもわからなかった。

自分の傲慢さに気づいたら、停滞という、外気エネルギーが停止するという感じが、やっとわかりました。陰陽や五行が知識だけ入れても頭でっかちになるだけで、経験を通してからやっと、少しずつ感覚としてわかって行くのと同じだね。

一白水星の、水の私は変化するのが当たり前なので、この停滞の土のエネルギー、本当にしんどいんだと思う。でも、それを辛抱することが大切っていうのが、今年学ぶテーマなんだということが、腑に落ちた。今年は多分、そのままなら苦しくて当たり前なんだ。

同時に、昨年の1のハウスの状態もなるほどって。なんで私にとっていい年だったのかも含め、腑に落ちた。ついでにこの9年を振り返って、今まで全然ピンと来てなかった、当たってるのか当たってないのかわからなかった事がなんだかわかった気がしました。私は本当に食べ物がめちゃくちゃだったから、そのめちゃくちゃな状態の上に、運気の流れが乗っかると、こういう動き方になるんだなって言う理解で。

食べ物の身体への影響力や、季節の変化による影響と同じで、知識だけあってもわからない。その後実体験を通してやっとわかるもの。わかってからやっと囚われなくなるんだろうと思います。

私は傲慢になってたから、囚われないという思いが=受け入れないになってしまっててそれに気づいていなかった。やっと受け入れた上で囚われない、に変化できた気がします。 ああ良かった。

そんなわけで… 今年はヒーリングマクロ。と、ちょっと覚悟してみました。

今まではもうポテチさえたべなければ、市販のお菓子さえ食べなければというマシ、ベターをひたすら選択していたし、家以外の食事も、なんでも食べていたけれど、今年はできる限り選んでみよう。 多分、引き締めてかかる時期に、来たんだと思う。出来るようになったんだと信じてみる。どこかで1度必ずやらなければならなくて、多分私はそれが今年。

私にとっての2のハウスのテーマ辛抱って、きっとそういうこと。

今年は、身体を作る年なんだきっと。今までは心がメインだった。そしてそこはある程度、なんとかなった。身体も、寝たきりにならなくなったし、なにより走り始めたのはそういうことなんだろう。 身体を動かすことで身体と向き合うことがすごく大切な年なんだと思う。食だけだと、食ベたものに対して身体がどう影響するかはすごく敏感になるけど、それ以外の身体のことはわからなかった。きっと運動をすることでわかるようになる。

そして、主婦業。 しっかりやるよ。お弁当はやっと当たり前になったし、家事全般できるようになったから、次のステップへ。秩序立った生活を目指してみようと思います。それもきっと、辛抱というテーマの中に入っている気がする。 家を整えること。それによって自分の生活に秩序を生み出すことが。もちろん秩序のために一番大事なのは瞑想で、最近全くできてないから、それもしっかり。

まとめ。今年の私の過ごしかたは、瞑想して、家事しっかりやって、家整え、食事はヒーリング重視、
そして運動、それによって身体を作り、身体と向き合う。

料理教室は、もともとちゃんと始めるのは来年で、今年は準備のために友人に教えるつもりだったけど、「料理教室」にフォーカスすると、さっきあげた最優先してするべきことできなくなるので、ちょっと保留。

2のハウスでは新しいことをはじめないこと、とされており、だから多分、先週も今週も友人へのクラス流れたんだと思う。やらない方がいいのにやろうとするから。準備のためのクラスだし、なにより去年から始めてるから新しいことではないって思ってたけど、たぶん、そういうことなんだ。

ただ、来年に向けての準備は必要だから別の形で始めたいなと思っています。教えて欲しいと言ってくれる友人がいてくれるので、教室というより、一緒にごはん食べてたくさん話そう的なものから。 玄米の炊き方教えてくれ〜とか、私のおべんとうが食べてみたいとか、マクロビオティックって何?とか経絡やツボのこととか、九星気学でも。テーマはなんでも、ということにして。一緒にご飯食べながら話をしようかと。材料費もらうから、手土産もいらないよってことにして。そのほうが、お気軽だよね。

2のハウスの年は、他人のアドバイスに耳を傾け堅実に行動することが大事だそうなので、一緒にご飯食べながら、疑問に思ったこと、こうしたらいいのでは?ということなんでも、聞かせてもらえることが、いいのかもしれない。

私が講師になった時、一番大事にしたいのは、「何を考えるかかではなく、どう考えるか」を伝えること。これは大事にしながら、どうしたら楽しんでもらえるか、お話ししながら学んでいけたら幸せだなぁと思います。
 
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青山パン祭りに行って思ったこと。

美味しいあんぱんやさんと、美味しいおはぎ屋さんがあったとして、同じくらい美味しかったら行列ができるのはあんパン屋さん。 ルヴァンの甲田さんが言ってたんだって、パン人気で美味しいパン屋さんが増えてるのはすごく嬉しいけど、もっと美味しいご飯屋さんも増えて欲しいよねって。お米食べて欲しいって。

私もそう思うんだ。

パンやコーヒーにこだわりを持って熱く語れて、自分で作ったり淹れたりする人沢山いるのに、玄米の炊き方を試行錯誤する人なんてお店の人かマクロやってる人くらい。 ルヴァンのパンの小麦作ってる上野さんはお米だって作ってる。ルヴァンのパンが好きな人と同じくらい上野さんの玄米を美味しく炊こうとする人がいてもいいんじゃないのかな。

美味しく炊けた玄米が天然酵母パンと同じくらいもてはやされる日が来たら楽しそう。プロの味にひれ伏したいよ。ほとんどの場合自分で炊いた方が美味しいし、マクロ友達と持ち寄った方が美味しいって考えてみれば切ないよ。 あそこの玄米食べるためなら行列にも並ぶよ!とかなったらいいな。

 
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