文章と料理と食のつづき


わかった。
──あれが自然食のお店だったからだ。

3,000円の服を買って、一度洗ってだめになってしまったとして。同じくらいの価格の服は全部同じようだめになるんだなんて思われたりしないだろう。外れだったと思われるだけだ。(─と、少なくとも私は思っているらしい)

でも、自然食やベジのお店だと、それが全てだと思われかねない。(─と、少なくとも私は思っているらしい)

体にいいものは美味しくない。ベジは美味しくない。動物性がないと美味しくない。自然食系のところって自然なのかもしれないけど、きれいじゃないし素敵じゃない、と、思われるのが、嫌なんだ。私は。

洋服と比べたから混乱したんだね。同じ飲食店で比べればすぐにわかったのに。
チェーン店の味が微妙でもあんな風に思わない。

結局自分が自分の思われたいように思われないことが嫌だからの「大きら〜い」発言ということだ。納得。自分が大切、自分への執着ゆえの嫌悪。

とはいえ。純粋な大切、純粋な好き、も存在している、はず。私の食に対する気持ちにもちゃんとそれがあると思える。でも、人間はそこに殆どの場合執着も混在する。自分自身への執着によって。





◯今日わかったこと◯
───私は料理をすることに対して執着がないし、そこに自分のアイデンティティみたいなものは見出していない。だけど「食」にまつわるあれこれをすごく大切に思っている。

───私は自分自身に対して、私が関わることに関してネガティブな感情を抱かれるのが嫌、という反応をまだまだしている。

───私は文章を書くのが好きかもしれないけど、自分語りが好きなだけでもあるような?ああ…エゴまみれ。