野菜と穀物の味が好きだから。
それが一番、叩かれない理由なんだろうと思っていた。
好き嫌いというエゴは、隠さないことで好ましく思われることがある。健康のためだの、環境のためだのいうことは間接的に別のエゴを感じさせて不快にさせてしまうことがある。それはダブルスタンダードでありながら気づいていないことを見ぬかれている場合故がほとんどだ。
好きだからはイコールで美味しいからに繋がるのだと思っていた。
しかし私は今日おいしいと思わないのに好ましいと思うパン屋さんに出会う。
そのパン屋さんの店主の言葉
「イーストは主に、ドライイーストとインスタントドライイーストを使い、小麦粉は一般的に流通してるものに国産の小麦とかをブレンドし、パンの特徴を出しています。こだわる部分としては、イーストの量を減らし、低温で長時間の発酵を行い、生地の香りやうまみを引き出すこと。ふつうの材料を使いながら、大量生産では出せないパンの美味しさを追求しています」
この感性を好ましいと思う。
だからこそ、私は近所の直売所で野菜を買うという選択をしていたのだろう。近くで作られた野菜を作った人から買うシンプルさが好ましいと思ったから。
しかし結局、気軽な気持で応募した宅配野菜のモニターをすることでおいしい野菜に心がすっかりと動いてしまう。
これはダブルスタンダードな人と同じことをしているのかな。
いや。結局は全て、全て、結果ではなく心のなかで起きているプロセスがどんなものだったかが大切なんだ。
手に入りやすいものの中でベストを尽くすことで美味しさを目指すこと。
美味しさと安全さのために、材料にこだわること。
どちらにも良い悪いはない。
自分が大事にしたいと思っている物を本当に大事にできているかどうかだけだ。そこに、つまり心のプロセスにダブルスタンダードがないかだけ。